体験記Vol.14(早稲田大学2年 Mさん)
皆さんこんにちは!
早稲田大学 2 年のMです。
この体験記に僕のインド滞在のすべてを書き記すことは難しいですが、これを読んで下さ る方の記憶の片鱗にでも残ることがあれば幸いです。
体験記と呼ぶにはいささか稚拙な文章ですが、どうかお付き合いください。
僕の知るカフェ採用は 2015 年 12 月。インド渡航は実に 1 年と 2 ヵ月が過ぎてからです。 2017年2月7日~4月2日の約2か月間インドに滞在し、そのうち2月19日からの約1 ヵ月半は第 5 代店長を務めさせていただきました。
インドインターン応募を決めたのは、もともとアジアが好きで海外にあこがれがあったというのもありますが、ある知るカフェの同期の存在が大きかったです。彼は僕が行くことになる知るカフェインド工科大学ハイデラバード校店(以下、IITH 店)の立ち上げ間もないときに働いたスタッフでした。渡航前と渡航後の見違えるような彼の姿を見て、甘い自分を捨てて成長したいと強く思ったのが始まりです。
体験記を書き記すにあたって、どういう形態で記せば皆さんにうまく伝わるかさんざん悩 みました。悩んだ結果、そのまま伝えるのが 1 番という結果に至りました。全てを伝えるのにはあまりに文字が足らず、みなさんの時間を奪うわけにもいかないので抜粋いたしますが、それでも十分楽しんでいただけると思います。
ということで、ここからは時系列に僕の体験を皆さんに追体験していただきましょう!
【第1章 インドとの出会い】

僕のインドとの出会いはインド国内ではありません。
もちろん僕もインドを感じるのはインドの空港を出た第一歩目だろうと予想していました。しかし日本人の期待を軽く飛び越えてくるのがインド。居住地のハイデラバードの空港へと向かってくる前のクアラルンプ ール空港の出発が 40 分遅れ。機長からのアナウンスによると、「インド人が 20 人くらい乗ってこないから待っててね」だそうです。時間にルーズとは聞いていましたがこれほどとは、、。これがインドと僕との出会いです。
日々触れ合うインド人はというと(ほぼ IITH の学生ですが)、とても穏やかでいい笑顔をします。日本人とは比べ物にならない笑顔なんです。つらいとき彼らの笑顔に本当に癒され ました。一生忘れないと思います。
心が豊かだといい笑顔が見えるはずです。彼らインド人は経済的には貧しいですが、どこ か余裕を持っており、豊かなのだと思います。僕に足りないものを目の前で教えてもらい ました。
【第2章 就任と襲撃】
前述のように、僕は偉大な早稲田店の先輩の後を継いで第 5 代 IITH 店店長に就任しまし た。
日本国内でも店長経験のない私にとってこれはとても大きな重圧でありました。さらに自分の代から IITH 店は 2 人体制での店舗運営となっており、これまでの前任者たちが積み上げてきたものを守れるか、店舗運営を円滑に進められるのか不安な日々でした。
そんな中突然の襲撃です。
ネズミによるコーヒーメーカーの襲撃です。IITH では昔からよ く起こる問題の 1つであるものが、店長就任 1 週目で起こりました。もちろん対策を施しますが店を閉めて帰るのが恐怖。恐れ過ぎて夢にもネズミが出て、僕の2000 ルピー札を完膚なきまでに噛みちぎっていったのです(インドでは 2000 ルピー札が 1 番の高額紙幣)。
幸い、対策の甲斐あってそれ以降は来店しなくなりました。思えばあれが私の店長就任 1 つ目の問題であり、あれがあったからこそ勢いがついて最後までできたのではないだろうかと今ではネズミに感謝すらしています。
何はともあれ店長という役職の機会に恵まれ、完遂できたこと、うれしく思います。自分の自信にもつながる経験ができたこと、感謝してもしきれない思いです。
【第3章 METRO の決闘】
ここはかなり皆さんに読んでいただきたいポイントです。
僕が渡航した時点の IITH店はジュースの発注を METRO という業者にしていたのですが、1 ヵ月半以上も納品がなく、音信不通という状況でした。
インドでは4 月から夏が始まるので 3 月からは気温が上がりコールドドリンクの需要も上がります。ジュースが少ない状況では営業に支障が出るため、ついに三浦は直接 METRO を訪問することにしました。現地学生の助けもありなんとか連絡が取れていたため電撃訪問。新たな担当者の方に会うことができ、話をしようと事務所に通してもらいました。
しかしそこでインド最大の恐怖 が三浦を襲います。なぜか事務所には椅子が 1 つだけあり席を勧められるも、その他 のインド人 7 人が立ったまま僕を囲むのです。皆さん想像できないかもしれませんが、インド人7 人に囲まれるのは相当の恐怖でした、、、。
下手な英語で半泣きになりながら事情を説明しました。半泣きの小さな日本人に情が移ったのか彼らは用意できる分ありったけの届いていなかった在庫を準備して車に積み込んでくれました。
気分は宝ものを荷車いっぱい積み込んで帰る桃太郎でした。
あきらめずに伝えること。どんな時においても「必死さ」「本気の思い」は人に伝わるということを実感しました。
ただ彼らに新たな発注を送っても全く用意してくれなかったので仕入れの方法を変えることになる話はまたの機会に。
【第4章 突然の病】
インドに旅立つ僕に皆さんがかけてくれた言葉ランキング第一位「お腹壊すなよ」
みなさん、これがなんという無理難題かわかっていません。
インドに来た 99.9%の日本人はお腹を壊します(三浦調べ)。もちろん僕も例外ではありませんでした。
このインターンに参加したスタッフのほとんどは入国 1 週間で少なからず体調の不良を覚えるというジンクスがありますが僕の場合は帰国 2 週間前にその時を迎えました。
軽い腹 痛から始まったそれはひどくなり、吐き気と発熱まで伴う症状になりました。キャン パス内の病院で注射の処置を受けるも回復せず、ついに次の日インドで病院に行くこととなります。たらい回されたのち何とか診察を受けることができ、点滴の処置を受けることができました。
インドで火の通ってないものを食べることはお勧めしませ ん。インドだけではないですね、、、。
体調を壊したとき、本当に頼りになる同僚と学生に助けられました。
自分が周りにどれほど恵まれているのか、どれほどの人に迷惑をかけてしまうのか改めて確認するいい機会となりました。
性善説を唱えている三浦ですが、たくさんの人の温かさに触れて、自分は間違っていないのではないかと思い至りました。
【エピローグ】
ここまで付き合ってくれた皆さんありがとうございます。
最後に僕の思いを記します。
ここに取り上げていないだけで、僕は本当にいろいろなことを経験しました。ぽっと出の僕の背中を押してくださり挑戦の機会を与えてくださった柿本社長。井上をはじめとする国内の海外事業部の皆さま。皆さまのサポートなしではこの渡航をこんなにも実りのあるものにはできませんでした。
この場を使って感謝申し上げます。
海外に 2 か月住むこと、これはすでに普通のことではありません。その上学生だけで毎日カフェを運営する。これはすごい経験です。学びもとても多いです。自分自身の力で解決すること、人に頼られること、人に頼ること。全ての言語化など到底無理です。
あまりに多くの学びと気づきがここにはあります。
この大きな経験が僕の今後の人生をどう左右するのかはヒンドゥー教の神様ですら知りません。ですがこの長い激動の日々と、辛いとき何度も救われたインド人の笑顔とインドの夕日の美しさは一生忘れられず、生きる糧になるのだと思います。
どこにでも気づき、成長のチャンスはあります。インドにはいささか多いですが。僕はインドに来てそれを見つけるのが上手くなったと思います。
当り前が通じないこの国で、自分の中での当り前が一気に崩壊し、体の芯から自分にとって当り前であったことに感謝し大事にできるよう気づかせてくれたインド。
本当にありがとうございました。
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